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安来市の戦国武将 山中鹿介幸盛

 七難八苦の悲運の戦国武将、安来市のヒーロー山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)」

 2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では主人公の黒田官兵衛を取り巻く人物として登場し、急激に注目を集めています。

 そんな鹿介の波乱に満ちた生涯をご紹介します。

山中鹿介幸盛イメージイラスト

尼子再興のため尽力した悲運の武将
 「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話などから国民教育の題材として戦前の教科書に採用され、山陰の麒麟児の異名をとるのが山中鹿介幸盛
鹿介は天象4年(1545)生まれ。父を早くに失い、亀井家の養子となりますが、兄が病弱なため実家に帰り山中家を継ぎます。そして、三日月の前立(まえだち)に鹿の脇立(わきだち)のついた山中家の家宝の冑(かぶと)を譲り受け、名を鹿介と改めます。
 永禄5年(1562)から始まる毛利元就との出雲征服戦により富田城は孤立。籠城戦となりますが、日増しに旗色は悪くなっています。それでも鹿介は、毛利勢の豪勇武士品川大膳と富田川中洲で一騎打ちを行い、見事大膳を仕留め士気を高めます。
 しかし、長期にわたる籠城に武器食糧は欠乏し、戦意も喪失して遂に永禄9年(1566)11月21日、尼子義久は元就からの和睦の申し入れを受け降伏、富田城は落城。尼子氏は滅亡します。
山中鹿介幸盛像

苦境に立ってからが鹿介の本領発揮!
 鹿介は立原源太兵衛らと尼子氏再興を決意し、浪人となって京都に上り、新宮党滅亡の際、ただひとり落ち延びた尼子の遺児尼子孫四郎勝久を大将と仰ぎ尼子家再興の宿願を果たそうと図ります。
永禄12年(1569)月山富田城を除く、出雲地方をほぼ手中とするまで復興しますが、毛利との布部山の戦いに敗戦後急速に衰え、勝久と共に毛利氏の捕虜となります。その後逃亡し、織田信長の力を借り因幡国の諸城を攻略し再び一時的に尼子復興に成功しますが、毛利氏に敗れ再び落ち延びます。
 天正5年(1577)羽柴秀吉中国遠征が始まると織田信長に従い、その先鋒隊となります。播磨の上月城で再度尼子氏復興を目指しましたが毛利に敗れ、天正6年(1578)勝久は自害してこの世を去り、鹿介もまた備中甲部川にて殺害されます。
 こうして尼子家再興の道は絶たれ、尼子氏繁栄180年の幕を閉じました。
月山富田城
山中御殿跡


山中鹿介ゆかりの地

山中鹿介の兜がデザインされたニッカウヰスキーのエンブレム
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになったニッカウヰスキーのエンブレムに山中鹿介の兜がデザイン。
川中島一騎討ちの碑
山中鹿介幸盛と、木狼介勝盛が一騎打ちを行ったと伝わる場所です。
月山富田城跡
難攻不落!天下の名城「月山富田城」の跡地です。
山中鹿介幸盛祈月像
祈る鹿介の真摯な姿から、戦国ロマンへ想いを馳せることができます。
山中鹿介幸盛生誕地
鹿介の生誕地といわれている山中屋敷跡です。
三笠山
鹿介は三笠山にかかる三日月に祈ったといわれています。
布部要害山
尼子と毛利の天下分け目の決戦場となった場所です。
蹄の滝(広瀬町山佐)
布部要害山で毛利軍に敗れた山中鹿介が馬で飛び降りた
蹄の跡が残っています。
清水寺の尼子十勇士「絵馬」
山中鹿介を始め尼子十勇士と呼ばれた強者を描いた絵馬が
奉納されています。
鹿介供養塔
山中鹿介をしのんで、堀尾吉晴の妻が建立しました。
「山中鹿介ゆかりの地めぐり」のパンフレットをリリースしました!
山中鹿介に縁の深い地を解説しています。このパンフレットを持って鹿介ゆかりの地を歩いてみませんか?
山中鹿介にあやかった祈願札【祈月札】のご案内
鹿介にあやかり、これから何かに挑戦するための立ち向かう勇気や逆境に負けない心を授かろう!

月山富田城・尼子一族
戦国尼子フェスティバル
5年に一度、尼子の子孫たちが月山富田城城下町・広瀬に大集合!
第6回の開催は平成25年9月28日(土)・29日(日)
一族法要、武者行列やステージイベントなど、様々な催し物が行われます。
月山富田城略年表
月山富田城のできごとを簡潔に年表にまとめています。
尼子一族盛衰記
安来市広瀬町月山富田城を中心に、最盛期には山陰山陽十一国を従えた戦国大名『尼子氏』とはどのような一族だったのでしょうか。


尼子盛衰記を分かりやすく解説
尼子盛衰記を分かりやすく解説しています。
「城下町広瀬まちあるきへ出陣!」のパンフレットをリリース!
富田の城下町広瀬のレトロな街並みや歴代城主に由来するスポットなどの
まちあるきに便利なMAPです。