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山中鹿介幸盛祈月像

尼子時代、太鼓で家臣に合図を送り、兵士の召集場所であった「太鼓壇(たいこのだん)に、山中鹿介祈月(きづき)があります。
昭和53年建立、三笠山に懸かる三日月を拝して「我に七難八苦を与え給え」と祈念しています。その真摯な祈りの姿は、次々と襲い掛かる苦難に全力で立ち向かった、まさしく鹿介の精神そのものといえます。

山中鹿介幸盛祈月(きづき)像

山中鹿介略年譜
天文14年
(1545)
1歳 月山山麓新宮谷山中屋敷で誕生。幼名は甚次郎
永禄3年
(1560)
16歳 山中家を継ぐ。兄から家宝の鎧を譲られ、鹿介幸盛と名乗る。
永禄8年
(1565)
21歳 毛利元就に富田城を包囲される。品川大膳と一騎討ちをし勝利する。
永禄9年
(1566)
22歳 尼子義久が毛利氏に降伏。鹿介は諸国放浪後京都へ上京する。
永禄12年
(1569)
25歳 尼子勝久を擁して出雲へ侵攻しほぼ手中とするが、月山富田城の奪取できず。
元亀2年
(1571)
27歳 布部山の戦いで毛利氏に敗れた後、捕虜となるが脱走する。
元亀3年
(1572)
28歳 織田信長に謁し中国征伐の先鋒隊となり、因幡国の諸城を攻略する。
天正5年
(1577)
33歳 羽柴秀吉の中国遠征の先鋒隊となる。
天正6年
(1578)
34歳 上月城にて尼子再興を目指すが毛利氏に敗れ、勝久は自害。備中への護送途中で殺害される。



山中鹿介ゆかりの地

山中鹿介の兜がデザインされたニッカウヰスキーのエンブレム
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになったニッカウヰスキーのエンブレムに山中鹿介の兜がデザイン。
川中島一騎討ちの碑
山中鹿介幸盛と、木狼介勝盛が一騎打ちを行ったと伝わる場所です。
月山富田城跡
難攻不落!天下の名城「月山富田城」の跡地です。
山中鹿介幸盛祈月像
祈る鹿介の真摯な姿から、戦国ロマンへ想いを馳せることができます。
山中鹿介幸盛生誕地
鹿介の生誕地といわれている山中屋敷跡です。
三笠山
鹿介は三笠山にかかる三日月に祈ったといわれています。
布部要害山
尼子と毛利の天下分け目の決戦場となった場所です。
蹄の滝(広瀬町山佐)
布部要害山で毛利軍に敗れた山中鹿介が馬で飛び降りた
蹄の跡が残っています。
清水寺の尼子十勇士「絵馬」
山中鹿介を始め尼子十勇士と呼ばれた強者を描いた絵馬が
奉納されています。
鹿介供養塔
山中鹿介をしのんで、堀尾吉晴の妻が建立しました。
「山中鹿介ゆかりの地めぐり」のパンフレットをリリースしました!
山中鹿介に縁の深い地を解説しています。このパンフレットを持って鹿介ゆかりの地を歩いてみませんか?
山中鹿介にあやかった祈願札【祈月札】のご案内
鹿介にあやかり、これから何かに挑戦するための立ち向かう勇気や逆境に負けない心を授かろう!

月山富田城・尼子一族
戦国尼子フェスティバル
5年に一度、尼子の子孫たちが月山富田城城下町・広瀬に大集合!
第6回の開催は平成25年9月28日(土)・29日(日)
一族法要、武者行列やステージイベントなど、様々な催し物が行われます。
月山富田城略年表
月山富田城のできごとを簡潔に年表にまとめています。
尼子一族盛衰記
安来市広瀬町月山富田城を中心に、最盛期には山陰山陽十一国を従えた戦国大名『尼子氏』とはどのような一族だったのでしょうか。


尼子盛衰記を分かりやすく解説
尼子盛衰記を分かりやすく解説しています。
「城下町広瀬まちあるきへ出陣!」のパンフレットをリリース!
富田の城下町広瀬のレトロな街並みや歴代城主に由来するスポットなどの
まちあるきに便利なMAPです。