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川中島一騎討ちの碑


川中島一騎討之碑
 安来市立病院北側に近い洞貫川べりに碑が建っています。

 ここは尼子の忠臣山中鹿介幸盛木狼介勝盛(たらぎおおかみのすけかつもり)が富田川の川中島で一騎討ちを行った場所。木狼介とは、毛利元就の武将・石見国益田七尾城主藤包の家臣品川大膳という豪勇の武士が、鹿介との一騎討ちのため改めた名前です。
 永禄8年(1565)富田城は毛利の大群に包囲され、かつて中国地方の「十一州の太守」とまで云われた尼子氏が籠城していました。城内の食糧も窮迫していたこの時期に、狼介は鹿介に戦いを挑みます。
 この挑戦を受けた鹿介は、窮地に追い詰められながらも見事に狼介を討ち取り、「見事出雲の鹿が石見の狼を討ち取ったるぞ」と勝名乗りを上げ、味方の士気を高めました。

木狼介勝盛…どうしてこんな名前にしたのでしょう?
 木の新芽を鹿が食べると角が落ちると云われており、また「鹿」に勝つ獣は「狼」であろうという考えからで、「勝盛」は「幸盛」に対して必ず勝つという願掛けの語呂合わせ。鹿介を必ず討ち取るという大膳の決意を表した名前であると云われています。




山中鹿介ゆかりの地

山中鹿介の兜がデザインされたニッカウヰスキーのエンブレム
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになったニッカウヰスキーのエンブレムに山中鹿介の兜がデザイン。
川中島一騎討ちの碑
山中鹿介幸盛と、木狼介勝盛が一騎打ちを行ったと伝わる場所です。
月山富田城跡
難攻不落!天下の名城「月山富田城」の跡地です。
山中鹿介幸盛祈月像
祈る鹿介の真摯な姿から、戦国ロマンへ想いを馳せることができます。
山中鹿介幸盛生誕地
鹿介の生誕地といわれている山中屋敷跡です。
三笠山
鹿介は三笠山にかかる三日月に祈ったといわれています。
布部要害山
尼子と毛利の天下分け目の決戦場となった場所です。
蹄の滝(広瀬町山佐)
布部要害山で毛利軍に敗れた山中鹿介が馬で飛び降りた
蹄の跡が残っています。
清水寺の尼子十勇士「絵馬」
山中鹿介を始め尼子十勇士と呼ばれた強者を描いた絵馬が
奉納されています。
鹿介供養塔
山中鹿介をしのんで、堀尾吉晴の妻が建立しました。
「山中鹿介ゆかりの地めぐり」のパンフレットをリリースしました!
山中鹿介に縁の深い地を解説しています。このパンフレットを持って鹿介ゆかりの地を歩いてみませんか?
山中鹿介にあやかった祈願札【祈月札】のご案内
鹿介にあやかり、これから何かに挑戦するための立ち向かう勇気や逆境に負けない心を授かろう!

月山富田城・尼子一族
戦国尼子フェスティバル
5年に一度、尼子の子孫たちが月山富田城城下町・広瀬に大集合!
第6回の開催は平成25年9月28日(土)・29日(日)
一族法要、武者行列やステージイベントなど、様々な催し物が行われます。
月山富田城略年表
月山富田城のできごとを簡潔に年表にまとめています。
尼子一族盛衰記
安来市広瀬町月山富田城を中心に、最盛期には山陰山陽十一国を従えた戦国大名『尼子氏』とはどのような一族だったのでしょうか。


尼子盛衰記を分かりやすく解説
尼子盛衰記を分かりやすく解説しています。
「城下町広瀬まちあるきへ出陣!」のパンフレットをリリース!
富田の城下町広瀬のレトロな街並みや歴代城主に由来するスポットなどの
まちあるきに便利なMAPです。